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特定非営利活動法人 カラ=西アフリカ農村自立協力会(CARA)~マリの農村の人々とともに、より健康で明るい暮らしを目指して~

© ACCL

カラ=西アフリカ農村自立協力会(CARA)
代表理事 村上一枝さん

今月のクローズアップは、特定非営利活動法人カラ=西アフリカ農村自立協力会(CARA)のご紹介です。世界最貧国のひとつと言われる西アフリカのマリ共和国で活動するCARAは、砂漠化に直面し、疾病と貧困に苦しむ農村地域の人々を対象にさまざまな事業を行っています。CARAの代表理事で団体設立者でもある村上一枝さんが、開業していた歯科医院を閉じて単身マリへと渡ったのは1989年のこと。以降、東京とマリを行き来しながら、マリの農村の人々が自立した生活を得て、より健康で明るい毎日を送れるよう支援を続けています。今回は日本に帰国中の村上さんを訪ね、CARAの活動とその成果についてお話をうかがいました。

Q. なぜマリを活動の場に選ばれたのですか?

A. 歯科医院を開業していた約30年前、サハラ砂漠への観光旅行で訪れた西アフリカのマリで、日本ならば治る、あるいは予防できる病気でたくさんの人たちが亡くなっていることを知ってしまったからです。さらにその旅行中、ユニセフの医師が現地を車で回りながら予防接種をしている姿を見かけたことから、「こうした活動なら私のような個人でもできなくはないな」と思うようになりました。私の専門は歯科ですが、それ以外にも、病気の予防や衛生的・栄養的な見地から、自分に何かできないだろうかと考えたのです。そして、こうしようと決めたらスパッと動くのが私の性格。1989年の8月に歯科医を辞め、9月末にはマリに渡りました。大きな転身でしたが、海外で支援を行うという仕事の方が、私にとって意味があると思えたのです。

Q. マリへ渡ってから、どのように活動をスタートさせたのですか?

A. マリへ行ったからといって、いきなり個人で活動することはできませんから、まずは、日本のNGOがサハラ砂漠で始めた植林活動にボランティアとして参加しました。約1年間、植林や病気の予防に携わりながら、いろんなことを勉強し、考えましたね。日本人がこうしようと計画してきたことと、実際に現地でやらなければならないことには大きな差異があること。現地の人たちは非常に貧しいがゆえに賢く、援助してもらうための技や術を身につけていること。そういったことを学んだ後に、ボランティアを辞め、首都のバマコで新たな活動の場を探しました。そして、たまたま巡り合った現地のローカルNGOのマリ人に「自分の村でやっているプロジェクトであなたのような人を探している」と言われ、すぐにそのマディナ村へと向かったのです。

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女性適正技術教室で刺繍技術を習得している様子(左)と村の女性会議の様子(右)。
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Q. マディナ村では、どのような取組みを始められたのですか?

A. 村ではちょうど、農業用ダムや牧畜、識字教師育成などの事業がスタートしたところでしたが、医療分野がなかったため、私が村の家庭を1軒1軒、調査して回りました。家族構成や1人ひとりの病気の経緯を聞き、台所やトイレを見せてもらい、奥さんが何人いるかから流産の回数まで、統計を取ったんです。今考えると、よくやったなと思いますね。そして、そこから問題提起をして、保健衛生の改善を始めていったんです。同時に、女性たちに縫い物を教えることも始めました。縫い物や編み物などの技術を身につけてもらい、女性の仕事を立ち上げていったんです。さらに、学校の子どもたちの健康診断を実施し、マラリアや寄生虫の予防につなげました。このようにして個人のボランティアとして2年活動したのちに、1992年に「マリ共和国保健医療を支援する会」を設立、翌1993年に「カラ=西アフリカ農村自立協力会(CARA)」と改名し、現在に至ります。

Q. CARAの活動はさらに多くの村へ、そして多くの分野へと広がっていったのですね。

A. 医療環境の改善が私の一番の目標でしたが、それには、教育や食べ物、栄養など、さまざまな知識が必要です。そのため、結果的に事業内容が多岐にわたることになりました。識字教育や学校建設、水資源確保のための井戸の設置、マラリアやエイズなどの病気予防、助産師の育成、産院や診療所の建設、染物、縫い物、石鹸づくり、刺しゅうといった女性の生活改善のため適正技術の指導、野菜園づくりや小規模貸付支援。全てのことが生きていくために必要なんです。それぞれの活動は、村人たちによる自主管理委員会が運営管理をしていて、今や収入を上げ、黒字になっている委員会も多いんですよ。個人を豊かにする支援はいけないという人もいますが、1人ひとりがお金を得られるようにならなければ、その村が発展していくことはないと私は思います。そのかわり、豊かな支援は絶対にしません。最低限の支援をして、あとは自分たちの力でやりなさいというのが、私のやり方なんです。

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井戸を設置したことで、さまざまな事業が可能になりました。
左は機械掘りによる深井戸、右は手掘りによる浅井戸。
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Q. 教育の普及に注力されていますが、村の人たちの教育に対する意識は変わりましたか?

A. 教育を受けるとみんな町へ出て行ってしまうから学校なんていらない、という考えの村もかつては少なくありませんでした。しかし、識字教育の大切さが徐々に浸透していった結果、子どもに教育を受けさせたいと考える親が増えてきました。これまで小学校を20校以上建ててきましたが、今では「中学校も建てて欲しい」と要望してくる村もあるほどです。もちろん、字を覚えたからすぐにお金が得られるようになるわけではなく、貧しい国では、明日の収入に直結することに魅力を感じる人が多いのは当然です。そのため、ここに至るまでには、非常に長い時間がかかりました。

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村の公立小学校1、2年クラス(左)と村の識字教室(右)。真剣に取り組む様子が伺えます。
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Q. 長年活動されてきた中で、深い達成感を得たことがあったら教えてください。

A. 妊娠・出産で命を落とす女性が非常に多かったこの地域で、10年以上かけてようやく助産師を育成できたときは本当に感激しましたね。助産師の育成が可能になったのは、女の子は学校に行かず字も書けないのが当たり前だった村から、読み書きができる女性がやっと出てきたからなんです。彼女が町で助産師の研修を受けている間に、村に産院を建て、彼女が働く場を作りました。助産師として働く彼女の姿は、村の女性たちにとって大きな励みとなっています。女性もこんな生き方ができるんだということがわかり、ますます女の子の就学率が上がるようになりました。今では、いくつもの村で助産師が誕生しています。産院では、病気予防や衛生知識の学習会なども行っており、こちらでは健康普及員に選ばれた村の女性たちが活躍してくれています。

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女性健康普及員になるために学習した女性たちが村の人たちへ啓発学習会を行っています。
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Q. 今後はどのように活動を展開される予定ですか?

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A. 現在、マリは治安情勢が悪く渡航ができないのですが、とてもよく理解してやってくれる現地の女性スタッフが育っていて、私が留守をしてもちゃんと回してくれています。それに、それぞれの活動の自主管理委員会についてもリーダーが育成できたので、CARAはもう手を放したんです。私たちはこれから、教育と同じように、勉強してもすぐに収入に結びつかないため、普及の難しい保健・衛生分野に力を入れていければと考えています。また、女性の活躍の場を広げるための女性センターの設立も目指していきたいですね。女性たちの意識の変化は、伝統的な男性優位の社会にも大きな影響を及ぼします。それにマリの人たちには、物怖じしない強さ、たくましさがあるんですよ。彼らが秘めている潜在的な能力を引き出すのが、私たちの仕事だと思っています。


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